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ある手紙

 投稿者:nelu  投稿日:2009年 7月19日(日)08時27分59秒
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    To you .For you

  ○○○ユウ様
正確な漢字がわからないので、片仮名で書かせていただきました。あなたの名は、ユウコとかユウナとかではなくて、ユウだということらしいですね。Vuia Traianさんか Tzara, Tristanさんに、あなたの名「ゆう」という漢字を少し教えてもらいましたが、記憶が曖昧になつています。

 今、三月二十八日の午前八時くらい。あなたに手紙を書こうと思い立つたのは、一週間ぐらい前くらい前の「幸福を招く講演会」を受講したのが大きな切っ掛けでせうか。
 この手紙をあなたにいつお届けできるかわかりませんが、この間に手紙の文面が頭の中で、次々広がるというような頭が少し冴(さ)えていた日も、一日二日はありましたが、今は、というか、通常というべきか、わたしは、いつも頭がボヤとしていて、無気力傾向的です。無気力傾向常態化の原因はいろいろあるでせうが、加齢ということもあるかもしれないし、その他もろもろな因子はあるだらうけれども、一番大きいのは霊障だとわたしには思われます。
 「七つの灯台の点灯者」の神示に「汝が何者かに傷つけられたり、黴菌や悪霊に冒されたりするのは汝が天地一切のものと和解していない証拠であるから省みて和解せよ。」とあります。わたしはまだ和解ができてないやうなのであります。
  ※ 霊障      http://ombra.jp/obstacle.html

 私は経済問題には疎いですが、・・・・ああっ、youさんが経済問題に詳しいとわたしが思っているわけではないのでご安心ください。・・・・、麻生総理大臣が「100年の一度といわれるような大きな経済的危機である」という発言が以前ありました。経済的危機というのは同時に政治的危機であり、一番悩ましいことは戦争の危機にも繋がりかねないことだと思います。
 そして、というか、しかしと申しませうか、・・・・聞くところによると、1929年の世界恐慌の危機より問題は数段深い、もっと大きなスケールの世界的大恐慌、世界的な大ダメージなんだと専門家の方が言っているとからしいのです。

 ちょっと、ここで、三代目の新総裁なられた、谷口雅宣先生の御著書「日時計主義とは何か?」かの冒頭から引用させていただきます。


 日時計主義とは何か?

 生長の家で「日時計主義」という言葉が最初に使われたのは、昭和五年
(一九三〇年)の三月一目を発行日とする『生長の家』誌創刊号の中である。こ
のことは生長の家の信仰者の間では有名な出来事だ。
 この当時の日本の状況については、はかつて『信仰による平和の道』(生長
の家刊)の中にも書いたが、日本は経済的混乱の中で、戦争へと突き進んでいく
“暗い雰囲気”が満ちていた時代だった。同書から少し引用しよう……


   昭和二年(一九二七年)に、日本は中国に派兵しています。第一次山東出
  兵と言われています。翌昭和三年(一九二八年)の四月には第二次の山東出
  兵があって、日本車が中国大陸に侵攻している。その二ヵ月後の六月には張
  作霖事件があって、それをきっかけに関東軍による満州の武力占領が行われ
  ていった。
   その責任問題が内閣で追求されて、田中義一内閣が総辞職したのが昭和四
  年(一九二九年)のことです。そして、その年の七月二日に浜口内閣が新た
  に誕生し、それまで財政的にあまりに手を広げてしまったことを顧みて、今
  度は緊縮財政をやろうとしましたが、タイミングが悪いことに、その約四ヵ
  月後、一九二九年の十月二十四日には、ニユーヨークのウオール街で起きた
  株価暴落がきっかけとなって、「世界大恐慌」に突入していきました。
   谷口雅春先生が、この『生長の家』誌を出版しようと決意されたのは、
  ちょうどそのころなのです。それで、翌年の一九三〇年、つまり昭和五年か
  ら、日本は「昭和恐慌」といわれる経済的大混乱に陥った。
   当時は、日本の中心的な産業は生糸産業でしたが、その生糸の値段が
  一九三〇年一月から三一年にかけて、55%下落した。半額以下になったわけ
  です。これに連動して、綿糸などの値段も52%下がった。米の値段は50%下
  がって半額になった。すごいデフレが起こったわけです。そして、日本の貿
  易は一九二九年から三一年までの二年間で、輸出が43・2%滅った。半分ぐ
  らいになったのです。輸入も40%減った。
   失業者は、一九三〇年に二三七万人、三一年は二五〇万人、三二年は
  二四二万人という状態で、大混乱です。GNPでみると、この三年間に27%
  減っている。つまり、日本の経済は三割ぐらい縮小してしまったのです。
   世の中には失業者があふれ、中国大陸では戦争が始まっているという状況
  の中で、谷口雅春先生が『生長の家』誌創刊号を執筆されたわけです。
            (『信仰による平和の道』二九二〜二九四頁)


  そして、この『生長の家』創刊号の中で明確に打ち出されたことの一つが「目
 時計主義」だった。その説明は、現在は『生命の貢租』の生活篇に転載されてい
 る……


 以上で引用は終わりましたが、今日はもう二十九日の午後四時ですなあ。
引用したなかに「田中義一内閣」というのが、出てきます。私は田中という姓の人に縁があるように思いますが、田中義一さんって、全くの同姓同名の人ですが、一応あなたも見たことがある、知っている人なんですねえ。私の母の旧姓も田中ですが、・・・





・・・・・・・・・・・<中略>・・・・・・・・・・・・・





 私も一応、亡くなられたComan Ion先生の後を引き継いで、他に候補の方がおられなかったので、豊川東相愛会の相愛会長になつていまして、毎月の第一土曜日に、自宅にて感謝奉納祭並びに、Mihai Eminescu先生のご指導の下に「生命の実相」の輪読会をおこなっております。
 ああっ、今日はもう四月四日となっておりまして、もう少しで十時になりますが、一時間くらい前に、Mihai Eminescu先生がお帰りなり、会は終わりました。数ヶ月前から母もこの会に参加するようになりましたが、あともうお一人Cristian Eugen Chivuさんとう方が参加されているだけですが、Cristian Eugen Chivuさんが、今、膝を悪くされて入院されているというので、Mihai Eminescu先生にお願いして、特別に実相円満唱行を執り行いましたが・・・・
 先月の会の話なのですが、Richard Tucker 先生が特別に参加していただきました。わたしに五月の幹部研修会のお誘いで・・ということだったと思うのですが・・その日は、輪読会も全くやらずに、私がひとりで、おしゃべりすることになってしまいました。

 どういう話をしたのかということは、上の<中略>とした内容にも関わることなのですが、ちょつとだけ話すと、私の名は漢字で「裕一」と書いて「ユウイチ」ですが、どうして、この名前が付けられたかというと、私の亡くなった父の母、私の父方の祖母の名が平仮名で書くのですが「ゆう」というのです。私は、その祖母の初盆(旧盆)の八月十四日に生まれたので「ゆう一」・・・「ゆう」を漢字にして「裕一」となったということです。そうしたら、Richard Tucker 先生が私のことを、そのおばあさん、祖母の生まれ変わりかもしれない・・・私の母に向かって、そういうことはよくあることことなんですよ・・なんていつていたのです。・・・私は、そのとき・・・わたしのひとりおしゃべりの時あなたのことも、勝ってに話させてもらたりもしたのですが・・・・数日してから・・・そんなこと、ふと思ったりしたのです。・・・・どういうことかと申しますと「その祖母の生まれ変わりは私じゃなくて○○○さんじゃないのか」と。


 今まで、神呼び歌ね忘れたことはあったかもしれませんが、みすまるの歌忘れたことはなかったように思います。ところが、今日感謝奉納のときに、ふと、「くにしずかなり」の部分が出てこなかったのです。Mihai Eminescu先生が繋げてくれましたけど・・・

 そういうわけで????・・・<中略>とした部分などについては・・・・
いやいや、○○○ゆうさんが、もし良かったのならでありますが、・・・もし、そういうお気持ちになられたりしたのならば、なのでありますが・・・もしよろしければ、お話できる機会をつくっていただければ嬉しく思います。

 掛川の霊能者の方に見てもらった帰りに、高揚した気分になってしまいまして、豊橋道場で、性急なことしてしまいました。
 正直言いまして、ご存じのことであるかもしれませんが、私は精神的にも肉体的にもあまり健康であるとは言えないように思います。・・・そういう事情も御座いまして?・・・少しお話がしたい申しましても、あなたの「ゆう」は「友」ではないとおもいますが、「友人」として少しばかり私の悩みを聞いていただけないかということで、お願いできればと思うのであります。

 わたしがなんかの機会に豊橋道場であなたと会えたときでいいですから、この手紙を読んだかどうかのご返事をお願いしたく思います。

 私はやはり男性ですから、女性の気持ちというものはよくわからないのです。
だから、とりあえず、読んだかどうかのご返事だけはいただきたいです。

                                        四月四日 午後十一時
 
 
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